出産のときに思い出したことば「認め 信じ 委ねる」AA12のステップより

出産

麦田の出産は、予定日超過で誘発分娩→全開大→破水→緊急帝王切開 と終盤にかけてあわただしいものになりました。
それでも、不安はなく「おもしろかったな」という記憶がメインなのは、分娩中に思い出した「認め 信じ 委ねる」ということばのおかげです。感謝のままに書きとめておきます。

AA12のステップのこと

「認め 信じ 委ねる」とは

この言葉は、AA(アルコホーリクス・アノニマス)という、アルコール依存症からの回復をめざす方々の回復プログラム「AA12のステップ」の中に登場するものです。

1.私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
2.自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。
3.私たちの意志と生きかたを、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。

AA12のステップ https://aajapan.org/12steps/

私なりの「認め 信じ 委ねる」

「子というもののいる人生を送ってみたい」という目的があっての計画妊娠だったので、現場での痛い痛くないは割とどうでもよく、安全に出産できればいいや という考えでした。

とはいえ貴重な機会のこと、痛みでパニくってなにも覚えてない とかだと甲斐がないと思い、予めソフロロジーとヒプノバースについては調べました。
呼吸法の練習は、いきんで産むところは実践できなかったものの、全開大までの陣痛を逃すのに大いに役立ちました。

私、羊の皮袋なのでは?

入院2日めの昼前。夜中の3時から弱い陣痛で寝ていないまま、LDRの台の上でモニター上の陣痛のヤマの線に合わせて息を吸い、細く吐く…ということだけ繰り返していると、自分が空気をふくんで膨らんでいる羊の皮袋になったようなイメージがわきました。

麦田
麦田

3時から寝ていないので、
イマジネーションが割と自由に
ふくらむ状態ですね。

そして、羊の皮袋は痛みとか感じないんだろうな、と考えました。

そのとき、ふとこの感じが「認め 信じ 委ねる」ということなのかもしれない、と思いました。
子が生まれようとしている現象について、自分にはいっさいのコントロールができないことを認め、神や医療者が最善の取り計らいをしてくれると信じ、子と自分の生命をすべて委ねる。
できることはせいぜい、子に送る酸素を取り込んで排気を外へ出すだけ。あとは全部おまかせすればいいんだ、と思ったのです。

できることはなにもない

「自分にできることはなにもない」という状態を自覚すると、心理的にとても楽になりました。
痛みはゼロではないし、うぅぅー…と声も出るけれど、機械の特定の部品に負荷がかかって軋む音がするみたいな感じで、助産師さんの指示に返事をしたり、状況を観察する余裕もありました。

破水後に医師の指示で二回ほどいきんだところで、子の髪の毛のざりっとした感触がありました。私がゆっくりものごとを観察できたのは、このへんまで。
子の心拍が下がっているので緊急帝王切開になると説明されてからは目まぐるしいスピード。それでもストレッチャーで運ばれている最中、頭の中で Don’t Stop Me Now が流れたり。

麦田
麦田

不安のないぶん脳はちょっと
ヒマなんですね、たぶん。

麻酔をしてからは文字通り人事不省。それでも、意識がなくなるまでずっと「認め 信じ 委ねる」ということばを思い出しつつ、きっと大丈夫だな、あとはおまかせだな、とのんびりと考えていました。

結論:非常にゆたかな体験

無事終わってみれば、出産はやったことないことだらけで、ガチャガチャしていて、すごくおもしろかったと思います。初めて味わう気持ちになったり、何年も前のことばの意味が急に分かったりと「生きてると、おもしろいな」と改めて思いました。

命がけでやることでありながら、命がけでやればなんとかなる ということではない。
今後、またそういうできごとに遭遇しても「認め 信じ 委ねる」ことができたらいいなと思います。

AA12のステップを知ったきっかけ

さいごに、私がこのことばを知った経緯について。

AAのことをはじめて知ったのは、数年前に開かれた依存症についての講演会でした。
精神科の先生による講義と、その先生にかかっていた元アルコール依存症患者(以下Aさんとします)の体験談の二部構成で、このAさんのお話がとても印象的だったのです。

仕事上のストレスからアルコールにおぼれ、失職し妻子にも出て行かれ、ボロボロになったAさんを兄弟たちが病院に連れて行き受診。Aさんは治療に入ってからも「周囲が大げさに騒ぎ立てているだけで、自分はアルコール依存症ではない」「やめようと思えばすぐやめられる」とずっと思っていたそうです。
やがて、AAの仲間とともに少しずつ暮らしを立て直しはじめた矢先、心臓発作を起こして倒れてしまいます。
救急車で運ばれながら「このまま死ぬのかもしれないな」と思ったとき、はじめてAさんは毎日義務として唱えていた「認め 信じ 委ねる」ということばの意味がわかった といいます。

このときまで自分は「認め 信じ 委ねる」ことができていなかった。
命が助かるかどうかということは、自分にはどうにもできない、神の決めることだ。
神にすべてをまかせよう。そしてもし命が助かったなら、同じようにすべてをまかせて、いちから治療に取り組もう。

と決心されたそうです。
その後は心臓の後遺症もなく、アルコール依存症の治療をつづけながらソブラエティ(アルコールを用いずに人生を送っている状態)を保っておられるとのことでした。

現在もお元気で過ごされているよう願っています。

タイトルとURLをコピーしました